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プロフィール

楽園ライフ社 代表 小原正年(おはらまさとし)




昭和37年年12月3日 生まれ いて座  血液型O型

昭和56年 奈良県立生駒高校卒業

昭和61年 四天王寺国際仏教大学史学科卒業

       大学在学中 卓球部創部する。初代部長。

昭和61年 株式会社 バローレ入社(紳士服製造販売企画会社)

       取締役製造部長。 営業で入社したが、結局現場で働く。
       紳士服背広が作れる。 ミシンも指導できるようになる。
       主に、工程管理、労務管理、品質管理業務。
       中国研修生指導。

平成14年 株式会社 バローレ 倒産 

        17年勤める

平成15年 株式会社 いい話の新聞社入社

        出版、取材、編集、営業、イベント企画。

平成17年 株式会社 いい話の新聞社退職

        経緯などは、以下に掲載している「私の人生」を
        お読みいただければ・・・ 10分ほどお時間があれば・・・

平成17年8月 「楽園ライフ社」立ち上げ現在に至る。



「いい話の新聞」の志を私が引き継ごう!!!






「私の人生」

楽天ブログ「私の人生で紹介」(1話から14話まで)

2005年7月13日〜7月30日まで掲載。


第1話

私自身について、書かせていただこうと思います。

 3年前、大学を卒業して17年間、勤めた会社が、
倒産した。 予測はしていたが、あまりにも突然
だった。

 ちょうど、人生のど真中で、自分の時間をいただけた。

 自分にとってかけがえのない貴重な時間だと感じた。

 39歳、人生80年だとすると、半部だ。

 とにかく、私は、自分で「運がいい」と思っている。
 
 私は、自分は仕事は出来ると、勝手に思っている。
    (自信過剰だ)(バカだ)

 ただ、これからの人生、自分の人生をかけれる仕事に
出会うだろう。 自分自身がが惚れる仕事をしたい。

 これからの人生は、世の中のためになることを
していきたい。

 必ず、私には出会うチャンスが来る。

 ・・・・・

 ・・・・・

 ついに、そのチャンスが、巡ってきた。






第2話

 倒産した会社に、総務部長として働いていた方が
おられ、私が入社して、4年後に独立され新聞社を
立ち上げておられた。

 会社が倒産したので、心配して連絡をくださった。

 新聞社だと人脈も広いので、出会いのチャンスも
あろうと、何回か遊びに行っていた。

 まさか、新聞社に就職するつもりなど、毛頭ない。
 義理で購読をしていただけで、点滴以外読んだ
事もなかった。 毎月新聞が届くので、倒産せずに
頑張っているのいだなと、漠然と思っていた。


 しばらくして・・・

 その社長がNHKの朝4時からのラジオ番組
「ラジオ深夜便」に出られた。

 その時の放送を録音したカセットを戴いた。

 日曜日の昼間、そのカセットを聞いた。
 2日間の録音で90分ある。



 身体が震えた。涙がとめどなく流れた。

 これには、自分でも驚いた。

 なんじゃ これは・・・

 りかい不能・・・

 ものすごく、嬉しかった。

 素晴らしい。理念に惚れた。

 この感動は、今でも忘れられない。



 新聞社を始めた動機

「人間の悩みなんて、そんな大差はないもので、
それが何かのきっかけで、その人の中で高じて
しまうと、深刻な悩みになって、人によっては
自殺しようかとまで、思いつめることもあるもです。
・・・・・・・
考え方をちょっと変えれば、小さな悩みなど吹っ飛んで
しまうものです。
 そういう話を集めて読んでもらえれば、不特定多数の
人をカウンセリングしたような効果があるのではないかと
思ったのです。」

 基本理念 (一部ですが)
「人間は、どんな時にも生きる道があることを、提案すること。
プラス発想するを、存在意義とします。」 



 惚れてしまった。
 
 これだ、と感じた。



第3話

いても立っても、おられなくなり、
 新聞社のH社長に、すぐに手紙を書いた。

「一緒に仕事をさせていただきたい」と・・・

 一週間、経っても、返事はこない。

 普通なら、すぐに来るはずだ。

  どうなっているんだ。

 
  私は、勝手に新聞社で働くと決めていた。

  頭の中では、夢を追いかけている。

  どんな事が、あっても働く。

  トイレ掃除からでも何でもやる。

  とに角、私は決めてしまったんだ。

  (相手のことは、気にしない。)

  自分でもバカだと思う。

  でも、そんな自分が、自分で一番好きだ。

  だから、仕方ない。  

   でしょ・・・

  

   もう一度、手紙を書いた。

「天命だと思って、私を雇ってほしい」と・・・

 私は、これは、勝手に天命だと信じていた。

 

  暫くして、やっと連絡があった。

  会ってくれるという。

 
 大阪のお好み焼き屋で、お会いした。

 こちらの結論は決まっている。

 
 あとは、H社長、しだいだ。

 

 社長もあきらめたのか。

「しゃあない。 一緒にやろう。」

 と言っていただけた。



第4話

とにかく、仕事を一緒にすることとなった。

恋愛と一緒で、カァー っと、今、血がのぼってしまっているだけで、
もしかして、覚めるのも早いかもしれない。 これはありうる。

ということもあり、まずは、手伝うことにした。

4ヶ月間、給料をいただかず、手伝うことにした。
 
仕事が全くわからない。
以前は工場の生産管理をしていたので、畑違いもいい所だ。

社長の傍について、仕事を覚えるしかない。
トイレ以外は、ずっと一緒に、行動した。

取材にも連れて行っていただいた。
社長が取材中は、私は一言も喋ってはいけない。
社長の横で、黙って話を聞いているしかない。

 取材相手は、ものすごく著名な先生で、私も尊敬していて
会えるのが、楽しみであった。取材中に、妙なことに気づいた。

なんじゃ  これは・・・

 おいおい、どないなっているんだ。・・・

 信じられなかった。

取材相手の先生が、社長のことを、認めている(尊敬している)
ように、思えた。 なんかそんな空気が流れている。
この空間の体験は、説明のしようがない。

熱が覚めるどころか、また、だんだん熱くなってきた。

社長にも仕事にも、本気で惚れてしまった。




第5話

仕事を手伝いはじめて、4ヶ月が経ち、社員として
働くようになった。

ガビーン  給料があまりにも少ない。
15万円+α  そのプラスαも期待できない。

これでは、家にお金を入れたら、私のお金がない。
大変だ。 社長にも相談し、
私のビール代と車のガソリン代を稼ぐため、
朝刊配達を始めた。

朝2時に起き、2時半からスタート、
6時前に家に帰ってくる。
会社は休みでも、朝刊配達は月1回しか、休みがない。

朝、朝刊配達をして、シャワーを浴びて、それから、会社へ行く
そんな日々を過ごした。

 でも、仕事は最高に面白い。特に取材は、・・・

 人を勇気づけるようないい話の取材だ。
 悪い話のところには、いかない。いい話ばっかりだ。

それより、人間の生き方の取材が多い。今、成功されている人の
原点の取材、今の成功は、子供の頃から、またそれ以前からの
ひとつひとつの積み重ねの上に存在する。一朝一夕に出来ているものでは、ない。
子供の頃の話から、ご両親にどのようにして育てられたのか、など
そんな、話を聞く。

普通ではそんな話、聞くことが、出来ないが、取材なら話していただける。

取材を通して、取材相手が、よくわかる。変な言い方をすれば、
相手を丸裸に出来る。取材を通して取材相手に惚れてしまうことが、
日常である。 こんな経験、他では出来まい。

 また、アポイントを取れば、会っていただける。
このようにして、七田先生ともご縁をいただいた。
(七田先生との出会いは、後日書きます。)

とにかく、仕事は面白くて仕方なかった。
生活は充実している。

ただ、朝2時に起きるのだけが・・・



第6話

入社して10ヵ月後、社長が倒れた。
 東京で、自分の講演中に倒れたらしい。
(私が感動して入社を決めた「ラジオ深夜便」の反響で
 社長は全国に講演によんでいただいて行っていた。)

  夜、9時頃、自宅に電話がかかってきた。
 「とにかく、奥さんをすぐに東京の病院へ連れてきてほしい」と

 もう少しで、私は朝2時からの朝刊配達のため、寝るところだった。

  これは、困った。
この時間では、新幹線も飛行機も間に合わない。
 とにかく、まず朝刊配達は暫く休んで、また、内の家内のパートも
休ませて、車で東京まで、私と、内の家内の運転で、奥さんと女性社員を連れて、夜中高速を走って、大阪から向かった。

 朝、7時半頃、病院に到着。

 すぐに、ICUに入った。

 社長の身体が、2倍くらいに膨らんでいる。
 顔もすごく大きい。
 身体中に、氷を抱かせている。
 
 どないなってるんだ。・・・・
 
 意識はない。

 脳内出血らしい。

 それも、脳幹の所で、命も危ないと、手術もできない所だと
 医者は言う。 まず今日中に、身内の人は病院に呼ぶようにと。

 なんと、命が危ないと・・・もし、もっても植物人間だと・・

  社長が死ぬわけがない。絶対に・・・

  
  私が病院にいても、何にもならない。
  何にも、できない。

  とにかく、新聞は発行しなければ・・・

  社長が倒れたからって、新聞はつづける。

  後は、信じるしかない。

  私自身、新聞の発行が出来る自信など、なかった。
  まだ、1年しか、経っていない。

   他に誰もいない。社員は、社長と女性社員(事務、経理)
  と私だけだ。 ライターは、全国に20人ほどいるが、・・・

  とにかく、私の出来る最善を尽くすしかない。

  やめることなら、いつでもできる。

  私は、家内と二人、奥さんと社員は置いて、
 新聞を発行するため、その日の午前中に東京を出た。



第7話

社長の状態は、とりあえず、危篤状態から脱した。
 しかし、意識はない。2週間後、大阪の病院に転送された。

 講演中に倒れたため、知っている人は知っているのだが、
 社長の状態が、悪いとは言えない。 新聞社が危ない。

 とにかく、新聞の発行だ。

 朝刊配達など、やっている場合ではない・・・
 無理を言って、すぐにやめさせていただいた。

  しかし、原稿がない。社長が持って倒れている。
 特に、前月号から、自分が書くと言って、ライターに
 原稿を頼んでいない。

  普通なら、後2日で、締切である。
 締切なんて言っていられない。緊急事態だ。

  とにかく、取材をして、ライターに協力してもらうしか
 方法はない。 

 すぐに取材に行き、ライターに事情を説明し、協力いただけた。

 しかし、問題は、資金繰りである。お金を貸してくれるところは、ない。
 資金は、自分で調達する以外、道はない。

 広告を取る以外ない。 広告は、社長に任せていた。
 
 社長が、倒れたのは、木曜日。 金曜日の朝、東京の病院へ行き、 土日、取材をした。 月曜日朝一番、以前一度、広告を協力していただいていた 社長にお願いに行った。 この人しか、いない。

 社長が倒れたことは、言ったが、病気の重さは、言えない。
 ただ、協力していただきたい 新聞を続けたい、とだけ言った。

 その社長は、快く協力してくださった。しかも、自分ところの
 広告、入れるつもりは、していなかったので、お金は出すから、
 別の人を取材に行って、記事にしてほしいと・・・
 しかも、中開きの2ページである。

 とにかく、助かった。

 社長の魂が、後押ししてくれたのであろう。

 2週間遅れで、新聞の発行が出来た。
 



第8話

社長が倒れて、1ヵ月後、意識だけは、少し戻った。
目で、反応する。 しかし、指を動かすことも、話すことも、
口から食事することも、出来ない。
お腹に、クダを挿しての食事だ。

とにかく、社長の命だけは、助かった。

 よくこんな経営やっていたな、と不思議だった。
毎月が、赤字である。 経営になっていない。
社長は、どうするつもりだったんだろう。
よくも、まあ、社長は13年間も続けて来たと、驚いた。
化け物か・・・
借金もすごい、よく個人でこんなに出資していただいていたと、
サラ金にまで、借りている。
 毎月の返済だけでも、大金だ。

 とにかく、広告を掲載して、新聞を発行するしかない。
 逆に言えば、広告が、なければ、新聞は発行できない。
 本当は、それだけでも、足りない出版もしないと・・・

 極端に言えば、私には、新聞を続けてゆく以上、
 広告取りの営業しか、頭に無い日々を過ごした。

  その広告が、奇跡的につづいた。
 不思議なことに、自力で、資金が回転している。
 会社が続いている。 
 これには、私自身、驚いた。

 どうなっているんだ。
 社長の人徳だろう。 人との結びつきが、半端ではない。
 お願いにいけば、協力していただけた。
 発行は、遅れながらも、毎月発行できた。

 社長の状態も、3ヶ月が経つ頃から、
意識が少しずつ、回復してきた。
目も少し、見えるらしい。 
千羽鶴を見て涙を流す位になり、
わたしが病院に行くと、すぐ、泣く。
泣いて喉を詰まらせないか、心配になるくらいだ。
呼吸が心配ということで、大阪に転院してすぐ、
のどに、穴をあけて、淡が詰まらないようにしている。
しかし、口から食事も出来ないし、指も動かせない、
話すことが出来ない状態は、変らない。
 意識もどこまで、理解しているか、
それもわからない。

とにかく、新聞社は続いている。
奇跡だ。

 私は、社長が入院してくださっているお蔭様で、
全ての取材に行ける。 これは、逆にありがたかったし、
取材相手も、自分で決めれることは、最高で、仕事自体
ものすごく、充実していた。
 入院している社長には、非常に悪いのだが・・・



第9話

しかし、半年以上も経つと、社長の念力も落ちてきた。

 入院して、8ヵ月が、経った頃、
お願いに行っても、広告が取れなくなった。

 自力で、広告を掲載するしかない。

奇跡的に広告が取れた、神に救われたと思った。
今流行の水の広告だ。 商品はまちがいない。

広告を掲載した・・・ものすごい反響である。
注文が、殺到してくる。広告を掲載した人は、ホクホクだ。
私自身が、反響のすごさに、驚いた。

創刊当時から、ものすごくお世話になっている株主の方から
電話があった。

「新聞に出ている水、注文したいのだが」と
「いくらや」と、私が値段を言った。
「それは、あかんで、なんぼなんでも、高すぎる」
「本当に、人を助けるためなら、そんな値段つけない」
「なんぼ、ええ商品か、知れへんけど、お前は、絶対、
そんな商品に荷担しては、いかん」
「苦労して、新聞発行しとるんやろう」と

この言葉は、堪えた。

 しかし、広告を掲載できないと新聞社は潰れる。

 どないすれば、いいのか?

真剣に、悩んだ。

そして、

広告を掲載することにより、本来の新聞の姿と違ってきている。
と、気づいた。
 これは、大問題であった。

今までの広告は、お願いして、ご協力いただいているので、
広告であっても、広告らしくない。
企業のイメージ広告であって、商品を売りつける広告ではなかった。

なんとか、しなくては・・・



第10話

よく、教えていただけた。
確かに、私自身、おかしな方向に行っていた。

しかし、どうする・・・

私自身の能力の限界を感じた。どうしようもない。

社長は、毎朝、4時に起きて、瞑想していた。
その頃、私は朝刊配達だ。
自分のために、お願いするのではなく、世の中の為に、
宇宙に、お祈りをしていた。
すべての人が、幸せになるようにと・・・

そんな社長が、なんで倒れるんや、
世の中、どうなってるんや
これも、定めか・・・
社長の状態は、良くならない。

もう、私自身の潜在能力に賭けるしか道はない。

そんなすがる思いで、七田眞先生にアポイントを取り、
取材をさせていただいた。

取材後も、大阪でお会い出来、「私の思い」を全て話した。
社長、八尾の甲田光雄先生、七田眞先生の前では、
飾っても、通用しない。 本音でぶち当たるしかない。
私は、勝手に、3人の先生を「師」だと、思っている。
先生方が、私の事を、どう思っているか、知らない。
私には、どうでもいいことだ。

税理士の先生にも入っていただき、経営者にも、
現状を、はっきり見ていただいた。
今まで続いのが、奇跡だ。

このままでは、会社はもたない。
これは、一発、逆転しかない。
ここまで、もったことだけでも幸せだ。
会社も資金を提供していただいた人も全て、救えたら・・・
これしかない。

会社の存在意義を、世の中に問う、ことにした。
存在意義のない会社は、潰れても仕方ない。

そんな思いで、今まで、14年間発行してきた新聞で、1面で紹介させていただいた著名な先生方の記事を集め、本にすることにした。社長が倒れる前、この本の企画をしていた。
本にするといっても資金がない、よって、電子ブックという形で、世に出すことにした。



第11話

今までに155名の先生方を紹介している。
その中から、社長が、倒れる前に本を作る事を承認していただいていた先生方中心に、70名の先生方に、一人ひとり、手書きで手紙を書いた。

社長が入院していること、なんとかして、この新聞社を続けてゆきたいこと、
最後に新聞社の存在意義を世の中に問わせていただきたいこと、
ぜひ共、電子ブックを作ることに協力してほしいと、
著作権の問題で、承認が必要であった。

55名の先生方が、快く協力していただけた。
その電子ブックの「はじめに」で、私が書いた文章を
一部紹介します。

『・・・・・・・幸いにも、この14年間、著名な先生方、苦境を乗り越えて成功を勝ち取った方たちのお声を聞くことができました。どの方のお話も私たちに大きな勇気を与えてくださいました。生きる上でのヒントがいっぱい詰まったお話ばかりです。他では聞けない本音をお話してくださった方もいます。
ただ、毎月一回発行される新聞という特性上、以前掲載されたすばらしいお話が忘れ去られてしまうことが残念でなりません。
そこで、新聞という形式ではなく、いつでも読むことのできる電子ブックに衣替えし、みなさんにご提供させていただくことにしました。
いま日本の社会現象は異常といってもいいでしょう。
このままでは日本は政治、経済、教育、家庭が崩壊してしまうでしょう。
 いま、一部のマスコミの偏重から、当り前のこと、正しいこと、良いことが、良くないこととして批判される風潮が日本に定着してしまいました。こんな風潮が改まるには日常生活の中で、青少年のときから正しいこと、良いこと、当り前のことを自然に身に付けるようにしなければなりません。そこに新聞社の存在価値があると自負しています。新聞社が求めてきた理想の社会を実現するためには、正しいことを、新しい考え方で、一人ひとりが行動に移していくことだと考えます。
これを機に、新聞社が本来の使命を果たす時だと考えます。
この電子ブックは、智慧と勇気と喜びをわかち合う新聞社の軌跡です。
・・・・・・』
これは、社長がいつも言っていたことだ。

勝負に出た。



第12話

社長の状態は、いっこうに良くならない。
話すことは、出来ないし、口から食事することも出来ない、
指すら、動かすことも出来ない、意識はあり、ある程度、
こちらの話すことは、理解できてるのかな?
これも、話せないので、わからない。
目で、合図は出来る。

1ヶ月間、夢中で、やっとのことで、電子ブックを作ることが、出来た。
インフォストアでも販売し、ホームページでも、新聞でも販売した。
CD-Rにもして、ディスクで売りですことにもした。
これが、売れて、一発逆転を、祈っていた。
信じていた。
反応は、値打ちのわかる人は、すごいと言ってくれる。
価格は5千円だが、安いと言ってくれる。

しかし、全体的に反応が、いまいち、である。
掲載させていただいた先生方にも、協力をお願いしたが・・・
一発逆転のホームランを期待していたのだが、
バットには、当たったが、ファーストフライくらいか・・・
最低限、世の中に出すことには、成功し、新聞社としての集大成で、意義はあるのだが・・・
やはり、これは、アウトのようだ。
じっくり構える余裕はない。
現実は、厳しい。

経営者が、弁護士を立ててきた。
会社を、破産させるという。
破産日も決められた。

どうしようもない。

破産の日が近づくにつれ、なんで、破産させるね。
トコトン行くところまで、行ったらどうなるのだろう。・・・
社長が、なんで、ここまでして続けてきたんや、
会社の基本理念に
「人間はどんな時でも、生きる道があることを、提案すること、プラス発想することを存在意義とします。」とある。
この基本理念を考えると、なんとかならないのか、なんとかせんと、と眠れない。
今まで、支援していただいた人を、裏切れない。
言っていることと、やることが、違う。 理念に反する。
「いい話」が、悪い話になってしまう。
だから、社長は、引っ張ってきたのか、と感じた。
これは、大変なことだ。

私は、破産には、協力しない、と弁護士に伝えた。

そして、しばらくして・・・

天使が現れた。
水の広告で、私を叱ってくれた恩人だ。
「なんとか、したる。」と言っていただけた。

とにかく、私は、新聞社を存続させるため、天使にすがるしかないし、支援をいただかなければ、私の力では、どうしょうもできない。

弁護士が、私が協力しないのなら、
破産できない、と言ってきた。

私は、絶対、破産には協力しない。




第13話

結局、会社の破産日に、会社は破産できなかった。

弁護士から連絡があり、会社を続けるなら、
負債をすべて、担がないといけないと言われた。
オイオイ、どうしよう・・・

新聞社は続けたいが、全て、社長が作った負債だ。

でも、これには、真剣に悩んだ。
本気で負債を担ぐつもりでいた。
色んなことがあり、右足が痛くて、歩けなくなってしまい、
ストレスが、足にまで来たのか・・・好転現象なのか?
一ヶ月位、自宅で、這っていた。

その間に・・・・

代表者の取締役辞任通知が、弁護士経由で届いた。

なんじゃこれは・・・
そこまでやるか。
そんなに潰したいのだろうか。

天使に相談した。
「こんな話、聞いたことない。
お前に全て、責任をおわせるなんて・・・
これでは、協力したくても協力できない。
協力することが、正義とは思えない。
お前も、そんな会社だったら、早くやめろ」
と言われた。
助けてくれるのでは、なかったの・・・・

この方は、会社設立当時からの株主で、社長も
一番頼りにしている人で、私も尊敬している人である。

私自身、生活も出来ていない。電子ブックを作り始めてから、
4ヶ月間、給料も受け取っていなかった。
会社に行く交通費も、親に無理を言って借りていた。
お金も、家に入れていない。
家族にも迷惑をかけどうしである。
私自身もそろそろ、限界でもあったが、なんとかなると信じていた。
バカである。 でも取立てにも、誰も来ない。

でも、この言葉で、目が覚めた。

私も、他の信頼できる弁護士を紹介していただき、相談した。
「とにかく、会社を早くやめなさい、あなたが負債を担ぐいわれはない」と、

情けないが、弁護士の言う通りにすることにした。

自分の力のなさを、痛感した。

最後にこれだけは、やろう・・・



第14話

せめて、最後に読者の方全員に、55人の先生方のディスクを郵送させていただいた。
これは、新聞社の15年間の「貴石」である。
私にとっては、新聞社にとっても、かけがえのないもので、
私もこの企画のお蔭で、先生方とアポイントを取り、
お話をさせていただきことも出来た。 身に余る光栄である。
 せめて、形に出来ただけでも、幸せである。 
いずれ、値打ちが出るかな・・・
そして、最後に、自分の手で、新聞を発行することにした。
取材は、終っている。原稿も上がっている。

パソコンで、最後に手作りで、自分で編集し、印刷して、自分で発送した。
見た目は、貧相だが、内容は、すばらしい・・・自負しています。
無茶苦茶、経費が安くついた。自分でやれば、出来る物だ。
最初から、これでやっておれば、・・・
追い込まれないと、なかなかできないものである。

そして、読者に、休刊案内を出した。
休刊とした。
会社には、発行できる人はいなくなる。

そして、私も辞表を出した。

最後に手作りの新聞の点滴に、私が書いた文章

『会社の存在理由とは「自分の会社の存在理由、

自分の仕事の必要理由を大義名分化し、

明確にすることが必要なんです。

存在理由がない会社は、社会から消えてゆきます。

存在理由があるから存在するのです」

京都セラミック株式会社を設立した時の稲盛氏の言葉だ。

▼企業は公器であると覚り、こう言いつづける

「社会のため、他の人々のためにも存在するものでなくてはならない」

▼小紙新聞社の存在意義は、どうかというと、

小社・基本理念に「幸せをテーマに、人々に知恵と勇気と

喜びを、わかち合う新聞です。

われわれは、人間はどんなときにも生きる道があることを

提案すること(プラス発想をする)を存在意義とします」とある。

▼道義を顧みなくなったら、いかなる大企業であっても没落する。

▼残念でならない。

▼生きる道はどんなときでも存在する。』


大失恋で、とりあえず、しばらく、ポカンとしていた。
せっかく、天使もいたのに・・・
会社って、続けようと思えば、色んな方法があることも学んだ。
株式の過半数の無償譲渡のご協力もいただいていた。
自分の力のなさを実感した。

ただ、私は、社長の「志」は、引き継いで、
名前は変っても情報誌をだそうと考えている。
今の世の中に必要だと感じている。
情報誌を通じて、人を結んでゆきたい。
波動が共生したら、新しい世界が生まれると信じている。
私は、バカだから、この仕事好きである。
面白い人生で、これからが、本番だと感じている。




長らくの間、お読みいただき、ありがとうございます。
日記に記載したことは、すべて真実です。
これからの私を期待していただければ、幸せです。
ありがとうございました。



最後までお読みいただき、ありがとうございます。

今後ともよろしくお願い申し上げます。




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